あおろぐ

人が生きると書いて人生。額面より可処分量。

生まれてきた意味ってあるの?

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【注意】決して病んでいるわけではありません。気分が悪くなったら読むのをやめてページを閉じてください。

 

 

たまーに「死んでも良いや」って思う時ありません?一回くらい誰もがそんなこと思ったことあると思うんです。僕は何度かあります。

 

自分が死んだらどうなるんでしょうか?

あなたが死んだらどうなるんでしょうか?

 

 

僕が思うに、そんなことはわかりっこないんです。

 

死んだらそれまで。死んだ後のことは『想像』はできても『確証』はないんです。

身近な人に対してのインパクトはそれなりにあるとは思います。例えば僕が今死んだら、妻や子供や両親はすごく悲しむと思うし、来週4/24に産まれる子供と来月3歳になる息子を妻は一人親で育てなくてはなりません。大変な人生になると思います。でもきっと家族やいろんな人が助けてくれて、後追いさえしなければなんとか生きていくんじゃないかなと思います。つまり極端ではありますが、僕がいなくても多分大丈夫ってことです。

僕を知らない何十億という人の人生にはまず影響はないでしょう。よって、世界に対するインパクトはほぼゼロで、つまり問題ないってことです。

なので、死にたくなったら僕は死を選んでも良いと思います。でも今は常に『生きることを選択し続けている』から生きています。こういった考え方については以前書いた記事『なぜ人は自殺するのか?』にも書いてあります。

 

 

ではなぜ『生きることを選択し続ける』のでしょうか?

今日はそんなことを考えてみたいと思います。

 

『生まれた意味』と『生きる意味』

さて、そもそも『生まれてきた意味』ってなんでしょうか?『生まれた意味』ってあると思いますか?

 

僕は無いと思っています。意味を持って生まれた命はひとつも無いと思っています。

なぜそう言い切るのかというと、生命の誕生が『偶然』だったからです。何者かが意図して宇宙や地球を創って、大気や水を作って、生命を誕生させたのなら別だと思います。その何者かに確認してみたいものです。でも、宇宙の誕生についてはまだ謎が多く、とりあえず『奇跡』の一言で片付けるのが一番しっくりくるんじゃないかと僕は思うのです。

 

宇宙が全ての始まりかどうかはわかりませんが、今のところ始まりに一番近いのが宇宙なんじゃないかと思います。その宇宙の誕生自体が『偶然』ならば、その中に生きる僕たちやあらゆる生命の誕生もまた『偶然』なのです。

 

一応『宇宙の誕生』で検索してみた。

 

www.gibe-on.info

 

というわけで、僕は『生まれてきた意味』を持っている人はいないと思っています。

 

さて、ここからが大事です。僕はこの話をネガティブな話と捉えられるような内容で終わらせる気はありません。

何度も言いますが、『生まれてきた意味』はありません。でも『生きる意味』はあると思っています。つまり『生命の誕生は偶然』ですが『生命の維持は必然』だと考えています。『生きることを選択し続けている人』はこの『生きる意味』があるから必然的に今も生きているのだと僕は思っています。

 

命の始まりは死の始まりというようなこともよく言われるように、生と死は必ずセットになります。その中で、今日死んでも問題無いのに死なずに明日を迎えるというのは、今日死ぬわけにはいかない理由があるからです。それはなぜか?『今日の自分で死にたくないから』だと僕は思います。

 

『生きる』とは楽しい『死に様選び』

僕は生きることはエンターテイメントだと考えています。そのエンディングを一人一人が思い描くのです。今日そのシーンに到達しなかったら、まだ死ぬわけにはいかないのです。つまり、どのような自分で死んでいくのかという『死に様選び』が『生きる意味』であると考えています。

 

言いたいことをまとめるとこんな感じ。

・『生まれた意味』はないが『生きる意味』は自分で創ることができる。

・どう死んでいくかという『死に様選び』のために日々生きることを選択し続けている。

・人生はエンターテイメント。楽しい人生にするか、退屈な人生にするかは自分が描く『死に様選び』次第。

 

 

死ってのは基本的に一人一回ですから、究極のイベントですよね。人生って良いことも悪いことも積み重なっていくものですが、それら全てをひっくるめて自分の死に様を創る材料にして、死ぬ間際が人生で一番楽しいと思えるように生きたいと、僕はそんな風に思います。