あおろぐ

絶対に必要なものはない。あるのは『あったらいいな』という想い。

受信と発信と教育と毒

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発信側と受信側。何かを伝えたり、教えたり、育てようとする時に、どっちの意識が重要かというとそれは圧倒的に受信側だ。

以前は、受信側(相手)のことはコントロールできないから、発信側の自分がどれだけ丁寧に伝えようと努めるかが大事だと思っていた。それは間違っていないと思うけど、「伝える」だけでなく「落とし込ませる」ためにはそれではいけないと気づかせてもらった。受信者の感度を育てることが重要だ。

同時に、「誰が言ったか」でなく「何を言ったか」を謙虚に聴くことが大事だと思っていたことも改めた。「誰が」というのはやはり重要だ。本当にここ最近は反省が多い。

 

 

 

【受信側】ダウンロードではなくインストール

本を買うだけでは意味がないように、また何かのソフトをダウンロードしただけでは意味がないように、自分の中に落とし込むということは「得る」で終わるのではなく、インストールすることだ。インストールすることで、自分でその知識や情報を使うことができるようになる。使えるようになれば、アウトプットができる。初めから大それたことをしようと思わずに、小さなイチを足していくことを繰り返す。そして同じアウトプットではなく、常に小さくともアップデートをかけ続けること。僕自身もただただイチを足していきたいという思いで、何者でもないながらにブログやSNSで発信をしてみている。

受信で終わらず、発信側になってみること。それを怠っていては、いつまでも発信者の真意を掴むことはできず、受信側のみの勝手な解釈で、何も得られぬまま終わる。

 

ただ、完璧にインストールすることを自分に求めてはいけない。完璧でなくても、都度アウトプットをかけることで、アップデートがより早く、深くなる。未完成なままで自分の思いをぶつけることは勇気がいることだが、とても大事なこと。誤解が生まれることを恐れてはならない。そんなのは一時的なもので、しっかりと向き合い続ければやがて理解とともに誤解はとける。

 

 

【発信側】コピペの強要ではなく、オープンソース

教育というものは、教え込むことではなく、姿勢づくりだと改めて思った。しかしそれは求められるものでもないということも思う。発信者にできることは、いつでも惜しみなく発信するという姿勢で居続け、受信者のことを信じることだけだ。その上で、成長を加速させようとするならば、受信者の感度が高まるきっかけを提供すること以外になく、結局それも受信者がどう取るかに依る。

 

以前勤めていた会社の社長は、常々何かを伝える時に、「強要しないし求めてもいない」ということを話していたが、確かに受信側に委ねられる分、求めたところでコントロールできるものではない。発信することは自分自身の課題だが、どう受け取るかは相手の課題。アドラー心理学にも課題の分離ということが書かれていた。良いことだからと言って、無理にその価値観を相手にコピペしようとしてはいけない。

 

受信者に対してどうやってアプローチしていくか。僕は僕のことしかコントロールできないので、とにかく僕自身を磨き続けるしかない。そしてその自分で実績を築き続けるしかない。誰がどのタイミングで、どれに対する影響でその人自身の感度を高めるかは全くわからないけど、常に一方的に発信し続けること。そして信じること。受信者に対してできることはそれだけだと知った。僕は良い受信者であり、良い発信者で在りたいと思う。

 

 

 

教育の入り口は師を選ばせることだと思う

親や担任の先生は基本的に一人。会社においても、教育担当は一人だというところは多いと思う。ただ、その一人が教わる側にハマるかどうかはわからない。一人に絞らせようとすることはリスクだと思う。

誰に憧れるか、誰の真似をしたいか、誰に付いていきたいと思うかなど、発信側が「誰であるか」ということは重要だ。親としては、できれば親を見て育って欲しいと思うエゴはあるが、子供が自分の人生のために最善の選択をするのであれば、親以外の師についていっても構わないと思っている。それがアンパンマンでもドラえもんでもおさるのジョージでも良い。いろんな人に出会わせて、いろんなモノやコトに触れさせて、動機が内から湧き出てくるきっかけを作ってやりたいと思う。そして動機を尊重することがなによりの支援だと思う。

それは妻に対してもそうで、家族といえど別の個体である以上は、僕がコントロールできるものではない。少し偉ぶるとすれば、妻や子供が「こうしたい」と打ち明けてきた時に、それがどんなことでもその動機に耳を傾け、可能な限り支援できるように、身体的にも精神的にも経済的にもあらゆる準備を整えておきたい。

 

 

毒親』にならないようにと自身に願う

家庭でも、学校でも、とかく子供や生徒に求めてしまうことが多いのが教育の実態だと思う。しかし、その教えを強要することは教育ではなく洗脳なのだと思った。親や教師の都合の良いように子供の価値観を強引に染めている。「明日の約束」というドラマがあったが、それを観ていても考えさせられることがある。

 

頭ではこうしてわかっているつもりでも、それを実践し続けるということは困難だ。子供が生まれたとき、親もまた0歳だとはよく言われることだが、親としても人として未熟な自分のことも優しく受け入れながら、家族や子供に向き合いたいと思う。

 

www.ktv.jp

 

 

読んだことないけど、原作はコチラらしい。