あおろぐ

絶対に必要なものはない。あるのは『あったらいいな』という想い。

僕が無職でも平気でいるのは、ポジティブだからではない。

今日、とある友人からLINEでこんなメッセージがきた。

 

 

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はっきりと言っておくが、僕の名前は「フルタ」であり、この31年の人生で旧姓の時期も含め、一度たりとも「スルメ」というニックネームをつけられた経験はない。ちなみに、この記事を書いている現在時点で、この「スルメ」に関する回答は得られていない。

 

僕の疑問を他所に、メッセージは以下のように続く。

 

 

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吾輩は、無職であり、主夫であり、高校生キャリア教育のプロジェクトメンバーであり、時にまちづくりのミーティングに出てみたり、沖縄島唄バンドのギターをやっていたり、困りごと相談を受けていたり、体幹トレーニングしたり、写真家を自称したり、ブログを書いてみたり、なんちゃってビットコイナーだったり、自宅警備したり、無職したりしている。

 

 

収入はまだない。

 

 

こんな現状の僕に対して「羨ましい」と思っているというのだ。仕事を辞めてからの生活は、出勤時間などに縛られていないし、曜日感覚を失うくらい時間に対してフリーになった。僕は仕事が苦痛で会社を辞めたわけではないが、「しなくてはならない仕事がない」という、その部分だけを考えれば確かに気分は楽だ。

 

そういった返答を僕の方から送った後、現時点でまだそれ以降の返事は来ていないので、この友人が何をどう思って連絡をくれたのかはわからない。近々一緒に食事でもしながら話を聞きたい。

 

 

さて、僕の現状は前述のとおりなのだが、こんな状況であっても僕には切羽詰まるというのがない。そんな僕の様子をみて妻は「強いね」だとか「ポジティブだね」という言葉を呆れ気味に言うのだが、決して「ポジティブ」がそういう態度を取らせているわけではないのだと言いたい。

 

 

僕はただ、この現状を愉しんでいるだけだ。

 

 

これは、妻や家族・親族がみたら炎上するかもしれないが、僕はこの現状を愉しんでいる。そんなこと言ってる場合ではない!ローンもあるし社会保険料や保育料、とにかくお金が要るんだから!という気持ちはよくわかる。お金が要るのは事実だし、それを毎月納めていくための収入がないのも事実だ。だから、「愉しんでいる」なんて言われたらキレられるかもしれない。

 

でも、だからといってこの現状を「苦しい」「愉しくない」としなければならない、というのは違うと思っている。どんな状況でも、「愉しい」と思って良い権利が僕らにはある。「苦しい」と思いたい人はそれでいい。一人一人が好きなように選べばいいのだ。

 

僕は「愉しい」と思える状況に決まりは無いと思っている。つまり、どんな状況でも自分の選択次第で愉しむことができる。僕は、何かが上手く言った時はもちろんだけど、何か失敗した時でも、ヘコむことがあった時でも、愉しんでいる。プラスの時が「OK」で、マイナスの時が「NG」なのではなく、そういった自分の「気分の変化」を客観的に愉しんでいるのだ。なので僕は「苦しい」ときでも「愉しい」のだ。

ジェットコースターに乗っているとき、昇って行く時は愉しくて、降下しているときは愉しくない、という人はいないと思う。ジェットコースターが好きな人は、上がっている時も、下っている時も愉しいはずだ。

 

わかっていただけるだろうか。つまり、ジェットコースターとは人生のことだ。生きることが「好き」であれば、その中で何が起ころうともすべて「愉しみ」になるということだ。大切なことは、生きることを好きになる、自分のことを好きになる、ということなのだ。

 

僕らは今日も生きている。明日も生きるだろう。きっと明後日も。しかしそれは当たり前ではないし、決定していることでもない。常に選択であり、常に死を選ぶこともできる。そのうえで、生きることを選び続けるのなら、それは意識的に選んでいるということを自分に言い聞かせて欲しい。人生の一日一日は、「生きる」という選択の連続だ。そう気づくことで、その瞬間から人生は愉しくなり、幸せになれる。僕はそう考えている。