あおろぐ

人が生きると書いて人生。額面より可処分量。支え合いより与え合い。

『過程vs結果』を考えてみたら結構愉しめた話

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「過程が大事だ!」

「いや、結果が全てだ!」

 

ネット上でも両論飛び交っている。

totalmatomedia.blog.fc2.com

 

vtana.hatenadiary.jp

 

 

僕は、「過程が」とか「結果が」というように、白黒で考えようとすることに無理があると思う。

 

 

2+3=5

 

5という結果を求めるためには2+3という計算過程が必要。

逆に2+3というのは5という結果を出すために存在する。

 

どっちかではない。良い過程は良い結果を生むためのもので、良い結果は良い過程から生まれるものだと思うのだ。

 

ちなみに、5は0+5でも1+4でも当然良い。なので過程は一つではない。そして、不完全な過程から生まれる5以外のものも結果だ。つまり過程も結果も一つではない。

 

ただ、『目指すべき結果』は明確に一つだ。

『目指すべき結果』というのは目的やビジョンだ。

 

ただ過程を経て結果を出し続けるなら誰にだって出来ることだ。例えば、サボって(過程)営業成績が上がらなかった(結果)ということならいくらでもできる。大事なのは、営業成績を上げるという目指すべき結果を追求することだ。

 

トライ&エラーの繰り返しなんてのはよく言われる。トライ(過程)&エラー(結果)。どちらか一つじゃない。『目指すべき結果』を出すための「式」が既知のものとしてあるならば、それは『目指すべき結果』として設定するものとしては違う。だから多くの過程を経て、多くの結果を出しながら、「式」は導き出されるものだと、僕はそう考えている。

 

人間らしさ、というものを考えるならば、結果のみを求めるときに、そこに感情は必要ない。つまり、人間は不要だ。人間は過程を愉しむ非効率な生き物だからだ。

そして同時に、人間は無いものねだりの生き物だ。人間的でない、強烈に結果を求め、結果を出し続ける存在に魅了される。人間は非効率と矛盾でできている。

 

 

過程か結果かを考えるときに、だいぶ前に野村監督が話していた言葉が思い出される。

 

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」

 

これは松浦静山という方の言葉の引用らしい。勝つ時には偶然ラッキーで勝つ時もあるが、負ける時は偶然ではなく必ず原因がある、といった意味だ。負けない準備をしておくというのは自分事。勝つのは、相手が見せた隙(相手の負ける原因)をモノにした時で、相手次第の要素がある。

 

結果を重視する人ほど、それが得られた過程を省みることは重要だと言える。偶然出た結果に慢心しないように。

 

ググっている時に、イチローの言葉が引用された記事を見つけた。

 

「本当の力が備わっていないと思われる状況で何かを成し遂げたときの気持ちと、しっかり力を蓄えて結果を出したときの気持ちは違う」

 

globis.jp

 

 

さいごに、「過程と結果」その印象の違いとして

 

過程派=人間的

結果派=機械的

 

というようにも感じられる。 

 

まぁ、いつかこんな境も溶けて無くなる。その時にまた「人間らしさ」について考えることが愉しみになりそうだ。