あおろぐ

人が生きると書いて人生。額面より可処分量。支え合いより与え合い。

【妄想癖】魂と命と存在を考えてみた【知識求む】

f:id:aoo55:20170916233749j:plain

 

  • 人は死んだらどうなるのだろうか?
  • 輪廻転生というのは本当にあるのだろうか?
  • 「命」とは何か?その正体は?
  • 「魂」とは何か?それはあるのか?
  • 本当に自分は存在しているのだろうか?

 

これらは僕が大学時代に考えていたこと。それを思い返して、現時点の考えもふまえて書き出してみようと思う。あくまで個人の妄想と思ってください。

 

人は死んだら『魂』が解放され、いわゆる「あの世」にいく。「あの世」に『魂』はどれくらいあるのかわからないけど、順番待ちなのか、指名されるのか、とにかく再び「この世」にいく。僕の予想では、『魂』の数は決まっていて、それがどれくらいの数なのかわからないけど、多分ヒトが理解できる桁では収まらないくらいあるんじゃないかな。でも数は決まっていて、それ以上増えることはないのではないかと思っている。

ちなみに、僕らの知っている「この世」以外の「この世」がこれまた数えきれないくらいあるのではないかとも思っている。

 

さて、『魂』とは何だろうか?

『魂』の状態では、何者でもなく、生があるわけでもない。おそらくそれは「枠」のようなもので、基本的には空っぽなのだと考えている。そこに「役」をはめ込まれた時に、「この世」にくるのだと考えた。

「この世」にきたら、先にある別の『魂』の宿った役からエネルギーをもらい、「起動」する。僕たちが一般的に「命」と呼んでいるものが備わった瞬間だ。

 

ヒトを例にして考えてみる。ヒトの場合は、『魂』という枠に「ヒト」という役をはめ込まれ、「この世」に送られた後、エネルギーを得て起動する。備わっているディスク(脳)はまだ何もデータがなく、あらゆるセンサー(五感)は情報を得るために稼働しはじめる。しかし最初はセンサーの感度が弱いため、外部からの強制的な情報の書き込みが行われる。例えば親からの書き込みがそうだ。

 

子供を「たろう」と呼ぶことを繰り返すことで、自分の名前が「たろう」だという認識を作る。

 

「お母さんだよ〜」と話しかけることで、この人が「お母さん」という人だという認識を作る。

 

触れることで、目の前にみえるものは見えるだけでなく触れられるもの(有るもの)だという認識を作る。

 

聞こえるものに反応することで、また相手が反応することを見て、音の認識を作り、それが伝達手段であるという認識を作る。

 

それらは産まれる前の胎内から始まっていて、産まれた瞬間から、既にバーチャルな世界にどっぷり浸かっている状態なんだろうなと思っている。なので、「この世界はバーチャルなんじゃないか?」と思うことは、それまでの洗脳によってなかなか困難なことになっているのだと思う。

 

一般的に時の経過とともにセンサーの感度はだんだんと向上していき、それらから得られた情報からどんどん学習を繰り返し、あらゆる「認識」を得ていく。それらは「教育」によって均一化され、その結果、生存戦略として重要な共通認識の世界がつくり出される。

 

例えばの話。

今、すべてのセンサーをOFFにしたらどうなるか?そこは、音も無い、光も無い、匂いも、感触もなにも無い世界のはずだ。しかしそれは、これまで蓄積したデータから、あったはずのものを知っているから『無い』という認識をしていると考えられる。これが『在るのに無い』という矛盾の正体だと僕は思う。

逆になんの認識もないまっさらな状態から、センサーをすべてONにしたときに起こるのが、『無いのに在る』という矛盾だ。

いずれも『在る』を認識したことによって起こることだと言える。ちなみに、センサーをONにしなければ、『無い』という認識も『無い』ことになる。究極の無だと考えられる。

 

以上が現時点での僕の『魂と命と存在』に関する考えである。

 

 

お詫びとお願い

未完なうえに、いろいろとハチャメチャな内容になっていてすみません。専門知識があっての考えでは無く、個人の妄想と思ってもらえるとありがたいです。よかったらぜひ突っ込んでいただき、知識を分けていただければと思うのでよろしくお願いします。

 

 

こんなことを考えていながらも、やはり目の前の子供の姿は愛おしく感じるのです。面白いですね。

f:id:aoo55:20170916233235j:plain

 

 

よかったらこちらもどうぞ。

www.aoo55.net

 

www.aoo55.net