あおろぐ

人が生きると書いて人生。額面より可処分量。

ある日僕は、この世界はすべてバーチャルだと思った

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あらゆるものが、なぜそこに『在る』のかということを考えた時に、本当はあらゆるものは『無い』のかもしれないと思った。

 

ある晴れた夏の日に、風に揺れる高く伸びた木を見ていた。その時に考えていたことは以下の通りだ。

 

1)なぜ空は青いのだろうか?

空が青いのは当たり前だ。いや、本当にそうなのか?

それはその色を『青』と認識しているから青い、ということ。また、そもそもなぜ色の違いがあるかというのは、目から入ってきた情報を脳みそがそのように認識しているからで、それだけのことに過ぎないということ。つまり、それが本当に『青』なのかどうかは実はどうでもいいことなんだけど、人間が生存していくためにそれを『青』だと認識する必要があったので、僕たちはこれは『青』、あれは『赤』といったように教育を受けてきた。それを『緑』だと教え込まれたとしたら、その人の世界に『青』は存在しない。

 

【補足】色を感じるメカニズム

以下のリンクを参考にしたところ、色は網膜にある「視細胞」のうちの「錐体細胞」の働きによって識別されているとのこと。

www.ishamachi.com

 

 

2)本当にあそこには木があるのだろうか?

そこに木があるというのは見た通りなのだが、本当に在るのかどうかということだ。見えるものは光のいたずらかもしれない。本当に在るものを見ているのかどうか疑わしいものだ。

触覚にしてもそうだ。触れてみるとやはり木の感触が得られる。この感触は間違いなく『木』だ。しかし本当にそうだろうか?その感触のものは『木』に違いないと思い込まされているだけなのではないか?

 

今や、その場に無いものを在るように見せられる技術や、さまざまな触覚を再現できる技術が開発されている。

 

【ホロポーテーション】


holoportation: virtual 3D teleportation in real-time (Microsoft Research)

 

 

【多重場による触覚提示】


Cross-Field Haptics:多重場による触覚提示

 

 

これらのことから僕が言いたいのは、あらゆることは全て『そうであるという認識』でしかないのではないか、ということだ。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚という体に備わったセンサーを通して、脳が「そうである」と処理している。その処理の根拠になるものが「教育」だ。

誰もが「青」だと思うものを「青」だと教え、共通の認識をつくる。それによって「青」を用いたコミュニケーションが可能となる。「青」信号で進む、ということも交通ルールの認識以前に、色の認識の共通化という前提によって可能となっている。

 

ここで冒頭の一文を再掲する。

 

あらゆるものが、なぜそこに『在る』のかということを考えた時に、本当はあらゆるものは『無い』のかもしれないと思った。

 

僕は『在る』ということは認識によって『在る』ものである、という考えから、本当は全部『無い』のではないかと考えた。こう考えたら一気に世界はバーチャルになった。

自分の体すらも『在る』のか『無い』のかわからない。本当は脳みそだけが浮かんでいるのかもしれない(脳みそ自体が目に見えないものかもしれない)。バーチャルだ。

 

ここまでくると、今度は『魂』の話になってくる。それはまた次回にしよう。

 

 

開発者ではないにも関わらず、Microsoft Hololensを買いたい変わり者さんはコチラからどうぞ。

【過去のツイートより】